日本語と英語の壁:違いを知れば超えられる

「英語脳」vs.「日本語脳」の著者、熊谷高幸のブログ

第2回:日本人が英語を英語だけで学習することは可能か?

「英語脳」とは英語を英語で理解する能力とする説があるようですが•••

最近、「英語脳」とは英語だけで英語を理解し、発信する能力である、とする考えをよく見かけます。そして、日本の多くの英語学習者がこの能力を獲得することを目標にしているようです。しかし、これは多くの日本人にとって本当に妥当で実現可能な目標なのでしょうか?

たとえば、上図の(2)のような日本語で表せる(1)の場面を(3)のような英文にしていく過程について考えてみます。この場合、日本人は、果たして、(2)のような日本語を介さないで、場面(1)と英語(3)との関係だけで英文を作ることができるでしょうか?(1)の場面が表しているのは、いま、二人の人物が向き合って何か話しているということだけです。そこに「10年ぶり」というような、長い時間経過を含む意味づけをすることは不可能です。しかし、日本人は、長い時間をかけて日本語を身につけてきたおかげで、「10年ぶり」というような高度な言い回しを(1)の場面に当てはめることで、その意味を即座に感じ取ることができるのです。

つまり、日本人は、長年かけて(1)⇄(2)のような、場面と日本語の対応関係を学習してきたのであり、英語を学ぶということは、それを(1)⇄(3)の対応関係に変えていくということです。

最近は、「英語の文のパターンは日本語とこんなにも違う」と、その文のパターンが沢山示されている本やネット資料をよく見かけます。しかし、実は、そこには必ず、注目すべき英文パターンと共に、それが表す事柄を示す日本語文が添えられているのです。つまり、英語は日本語とは違うから、英語は英語だけで、というような展開に実際にはなっていないのです。

日本語と英語は似ているからこそ日本人は英語使用を間違いやすい

実は、私自身も、これまで、日本語と英語はこんなにも違う、ということを示す本を3冊書いてきました。確かに、日本語と英語は、それらの本の中で書いたように、数ある言語の中で、両極端と言えるくらいに違う言語です。しかし、それは、数ある言語の中で、という意味であり、言語全体を大きな視点で捉えてみると、皆、非常によく似ています。

どの言語にも、英語でいえば、SV、SVC、SVO、SVOO、SVOCというような、出来事を表すことばや出来事と出来事をつなぐことばがあり、また、時間や空間を表すことばがあります。このように、大枠として与えられているものが同じなので、その中身を入れ替えていけば文を作ることができそうな錯覚が起きやすいのです。そして、このような入れ替え方式は、英語、フランス語、ドイツ語などの間では比較的うまく行きやすいのですが、英語と日本語の間では格段にむずかしくなってしまいます。そのため、日本人は、この壁の前でつまずき、先に進めなくなってしまうことが多いのです。しかし、物事を表す基本戦略としては、日本語も英語にかなり近い部分を持っており、それを利用すれば、英語への変換は可能なのです。

しかし、実は、変換の出発点になる日本語のしくみについての認識が当の日本人の方であまりよく共有されていません。そのため、日本人の思考のどこをどう組み替えていけば英語になるかが分かりにくくなり、むしろ、日本語は忘れてしまった方がいい、というような意見が現れるのです。

そこで、次のブログでは、日本人が気づいていない、日本語のしくみに立ち返り、まず自分たちの足元を見つめることから始めて、英語の壁を乗り越えるための準備をしたいと思います。

 

 

第1回:同じで違う英語と日本語

英語を話せますか?

 まわりの日本人にこう聞いてみると、一番多い答が「いいえ」で、二番が「多少は」で、三番が「はい」だと思います。そして、答える人数は、一番から三番にかけてどんどん減っていくはずです。では、なぜ、こんなにも英語を話せない人が多いのかというと、それは私たちが日本人だからです。

 日本語と英語は文字や発音だけでなく、文の形があまりにも違います。その根底には文を作るときの発想の違いがあります。日本人の発想は日本語でできているので、それをなかなか英語に変換できないのです。私はこのことを伝えたくて、12年前から3冊の本を出版してきました。下の画像は、その中の一番最後に出した本です。しかし、その後、補足したいことや、新たな視点などが出てきたので、このブログを始めました(ただし、このブログは、本を読んでいなくても一応、理解できるようにできています)。

英語と日本語は同じ違う

 今回、補足して述べておきたい最初のことは、日本語と英語は違うけれど、実は、それ以上に、同じだということです。

 そこで、まず考えておきたいのは、そもそも私たちが使う言語にはどのような働きがあるのか、ということです。これについて、私は発達心理学を専門にしてきたのでハッキリいえることですが、言語とは、物に名前を付けることができ、「いま・ここ」にないものを表すことができる働きを持つものです。そして、この一番大切なことばの働きを、日本語も英語も全く同じように持っています。

 人間以外の動物、たとえば犬は、その場の出来事にはよく反応しますが、きのうの事を特に考えたり、あしたの事を伝えることはできません。また、その場にない物を飼い主に求めることはできません。ところが、人間は、ことばがあるおかげで、それができるのです。このような、魔法のようなことばの働きを、日本人は日本語の形で獲得しました。こう考えると、日本人が英語で話そうとする時にも、日本語で身に付けた方法をそのままそこに当てはめようとするのはもっともなことなのです。たとえば、以下のような、日本語文とその英訳を比較してみます。

 

 明日は英語のテストがあります。

 I have an English test tomorrow.

 

 両方とも、今ではなく、あしたの、また、多くの場合、話しているその場でなく学校で起きることを表しています。この点では、日本語も英語も、全く同じ、ことばの働きを使っているのです。しかし、訳してみると、上記のとおり、見かけは、かなり違うものになってしまいます。

 日本語も英語も世界を表そうとする基本戦略は同じです。しかし、その具体的な方法に違いがあります。そこで、どこがどのように違うかを突き合わせていく必要があるのですが、実は、日本人は自分たちが普段使っている日本語の仕組みにあまり気づいていないのです。そのため、日本語の形で蓄えてきた自分たちの思いのどこをどのように切り替えていけば英語になるのか、がわからなくなるのです。

 この点は、上記の自著でも十分に書けていなかったところがあります。そこで、このブログでは、この問題も含め、私自身の中で日々生まれてくる、日本語と英語についての思いを、今後も日記風に書き綴っていきたいと思います。